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高岡城址

                               富山県 キリシタン関連史跡

高山右近が縄張りした城


信仰を守ったがゆえに領地を失ったキリシタン大名 高山右近が、前田家の客人となり、縄張り(城の配置を決めること)を行った城。1615(元和元)年の一国一城令により廃城となり、現在は石垣が残るのみですが、その石垣や濠が素晴らしいので日本百名城の一つに選ばれています。



高岡城址の石垣


高山右近は大名であることよりキリシタンであることを選び、所領を失い一介の牢人となりました。

以前から親交のあった前田利家の招きで金沢に来て、加賀藩の発展に寄与し、その貢献は利家の後を継いだ利長の代にまで及びました。

高岡城は1609(慶長14)年に前田利長によって築城されましたが、その縄張りをしたのは右近です。

高岡城址の本丸広場


築城にあたって最も大切なことは、本丸や濠をどのように配置するかということであり、それが城の防衛力を大きく左右し、戦いの勝敗を決しました。

重要機密である縄張り(配置決め)は、極秘にする必要があり、右近は七尾にある本行寺の菊亭でそれを行ったと伝えられています。

しかし一国一城令が出されたために、加賀藩では金沢城以外の城は取り壊されることになり、高岡城が建っていたのは、5年あまりの間でした。

高山右近像


高岡城址は、現在高岡古城公園として整備されており、公園内には博物館や市民会館、本丸広場、神社、相撲場などがあります。

博物館に近い大手口の入口には、大きな十字架を手にした右近像と顕彰碑が建てられています。

この像は右近が治めていた高槻の高槻城址にあるものと同じです。

公共の場所にある像には、特定の宗教を示すものをつけないことが多いのですが、十字架にはキリスト像も刻まれています。


右近の顕彰碑

高岡城の説明板

水をたたえた濠

高岡城石垣

高槻城の石垣には様々な印が刻まれていて、十字の印のついたものをキリシタンと結びつけて考える説が以前はありましたが、現在ではそれらの印は石の切り出された場所や積み上げる場所を見分けるためのものだったと解されています。

自分の目で見て確かめてみたい方は、公園内の高岡市立博物館にどうぞ。博物館前のスペースに解説つきで展示されています。


高岡市立博物館

石垣の石

石垣の石

石垣の石

石垣の石

石垣の石解説

石垣の解説板

 
 現地への行き方
JR「高岡駅」から徒歩15分。JR氷見線「越中中川駅」から徒歩4分。公園は21万平米もの広さなので、歩いてくまなく回るには脚力と時間が必要です。



この地図は大体の位置を示すものなので、訪問の際は現地の案内や地図で所在地を確認してください。

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